名所めぐり
2006年6月30日最近よく思うんですが、いろんなたくさんのCDを買って聞く、又はダウンロードして聞いてるってこと自体、あまりいい事じゃない気がするんですね。まあ音楽も楽しめればいいし、理屈並べてもしょうがないんですが。
一つの曲を一生聞いていくことや、深く掘り下げて聞くことは意義のあることだと思う。多くの曲をさわりだけ聞いて好きな曲を探すという行為自体悪い事ではないように思えるが、ほんとに価値のある曲はさわりだけ聞いて良さが感じられるような単純なものじゃないと思う。もしそれが出来るなら、試聴者は制作者よりも感性が鋭い事になる。出会いは多い方が良いかもしれないが人間には時間的な限界がある。さわりだけ聞いてはじきだされる曲にいい曲がたくさんあるように思う。
好みの曲は、スムーズに心地よく頭に入るが、飽きるのも早い。思い出として一生聞けるかもしれないが、趣味としての音楽としては浅いものになる。自分の感性を広げ、深めるにはとっつき難い曲を好きになる努力も必要だろう。人間関係も同じことかも知れない。いくつかは必ず新しい発見と感動があるものだ。
しかしこれだけ多くの曲が氾濫するなかで、そういう曲にめぐり合えるか?手っ取り早いのは過去の名曲と言われるものを徹底的に聞きまくる事だろう。自分の感性を試す場としてはこれ以上のものはない。ただし名所めぐりになってしまっては、素通りするだけになってしまう。一定の期間そこで生活することが大事だと思う。
一つの曲を一生聞いていくことや、深く掘り下げて聞くことは意義のあることだと思う。多くの曲をさわりだけ聞いて好きな曲を探すという行為自体悪い事ではないように思えるが、ほんとに価値のある曲はさわりだけ聞いて良さが感じられるような単純なものじゃないと思う。もしそれが出来るなら、試聴者は制作者よりも感性が鋭い事になる。出会いは多い方が良いかもしれないが人間には時間的な限界がある。さわりだけ聞いてはじきだされる曲にいい曲がたくさんあるように思う。
好みの曲は、スムーズに心地よく頭に入るが、飽きるのも早い。思い出として一生聞けるかもしれないが、趣味としての音楽としては浅いものになる。自分の感性を広げ、深めるにはとっつき難い曲を好きになる努力も必要だろう。人間関係も同じことかも知れない。いくつかは必ず新しい発見と感動があるものだ。
しかしこれだけ多くの曲が氾濫するなかで、そういう曲にめぐり合えるか?手っ取り早いのは過去の名曲と言われるものを徹底的に聞きまくる事だろう。自分の感性を試す場としてはこれ以上のものはない。ただし名所めぐりになってしまっては、素通りするだけになってしまう。一定の期間そこで生活することが大事だと思う。
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