カーペンターズの懐かしいフィルム
2007年4月21日 音楽NHKでやっていたもので、前にも見たかな。カレンが死んでしまった80年代前半頃までの軌跡をインタビューを交えて追ったものだ。
自分が生まれてはじめて見た外国のバンドはカーペンターズだった。武道館だったと思う。AMラジオで「愛のプレリュード」を聞いた時の身震いするほどの感動は、今となってはいい思い出。自分にとってはビートルズより前の感動だった。同時にバカラックやポールウイリアムス、ロジャーニコルスなんかの作家連中に興味を持ったのもこの頃。とにかく日本の感覚にはない明るさとセンスの良さが際だっていた。
しかし当時自分のまわりでは、ハードロックか反体制フォークかで、なかなかカーペンターズ聴いてるなんていえない雰囲気ではあった。だから秘かにカーペンターズとかセルジオメンデスとかのEP盤を買い集めひとりで聞いていた。
今から思えば、カーペンターズって物凄いプログレバンドだったんだなと思う。誰でも口づさめる健康的な優等生POPのイメージだが、その中身は今でも通用する色あせないメロディ、HELPや涙の乗車券の斬新なアレンジ、歌を邪魔しない計算されつくしたオーケストレーション、すべて完璧に作られていた。
リチャードカーペンターの言葉が印象深かった。「光るものがない。」ばっさり切り捨てたその言葉は、死ぬ前にカレンが精魂傾けて作ったソロアルバムに対して言ったものだ。当時最高の売れっ子プロデューサー、フィルラモーンとリチャードの意見が全く
食い違うのも、また発売中止にいたった背景も、歌作りに対するリチャードとカレンの見識の深さと完璧主義に裏打ちされたプロ意識そのものだったのだろう。くだらない流行歌が氾濫する今の時代だからこそ、光り輝く。
自分が生まれてはじめて見た外国のバンドはカーペンターズだった。武道館だったと思う。AMラジオで「愛のプレリュード」を聞いた時の身震いするほどの感動は、今となってはいい思い出。自分にとってはビートルズより前の感動だった。同時にバカラックやポールウイリアムス、ロジャーニコルスなんかの作家連中に興味を持ったのもこの頃。とにかく日本の感覚にはない明るさとセンスの良さが際だっていた。
しかし当時自分のまわりでは、ハードロックか反体制フォークかで、なかなかカーペンターズ聴いてるなんていえない雰囲気ではあった。だから秘かにカーペンターズとかセルジオメンデスとかのEP盤を買い集めひとりで聞いていた。
今から思えば、カーペンターズって物凄いプログレバンドだったんだなと思う。誰でも口づさめる健康的な優等生POPのイメージだが、その中身は今でも通用する色あせないメロディ、HELPや涙の乗車券の斬新なアレンジ、歌を邪魔しない計算されつくしたオーケストレーション、すべて完璧に作られていた。
リチャードカーペンターの言葉が印象深かった。「光るものがない。」ばっさり切り捨てたその言葉は、死ぬ前にカレンが精魂傾けて作ったソロアルバムに対して言ったものだ。当時最高の売れっ子プロデューサー、フィルラモーンとリチャードの意見が全く
食い違うのも、また発売中止にいたった背景も、歌作りに対するリチャードとカレンの見識の深さと完璧主義に裏打ちされたプロ意識そのものだったのだろう。くだらない流行歌が氾濫する今の時代だからこそ、光り輝く。
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