GSの時代は長くは続かなかった。要するにブームで終わったわけだ。それは大衆の受けを狙った歌謡曲畑の職業作詞、作曲家の手によるものが多かったのが原因してるのかもしれない。そもそも彼らの作品は時代を超えて、長く聞かれる本質的に深い作品を前提に作られるわけではない。一発狙いといっていいのかも知れない。システム上多業種の多くの人間が関わっているので、2~3回売れなければ次はない、という使い捨ての感覚が支配してるのだろう。

GSの衰退とクロスするように登場したのがシンガー&ソングライターや、独自のサウンドを追及したロック、POPS系のバンドだ。彼らにはメディアの露出もTVの歌番組主体の歌謡曲畑の人たちとは一線を画した、LIVEを中心とした手作りのプロモーションが行われたように思われる。それらの手本となったものが、LOVE&ピースの時代にアメリカで行われた大規模な野外コンサートだったように思う。それらに触発されたとはいえ、その後の日本のPOP系音楽業界の形態を大きくかえたのは大きな功績と言えるだろう。そのエナジーの核となったのが、若くて優秀な才能の登場だ。

何かが始まるとき、変わる時というのは、優秀な人間が登場するのが常で、政界ではないけれど、そこそこの才能だと何も変わらない。現在は変わりにくい環境なのかも知れないが、新しい音楽家がいるにしても、その頃の人が健在であるにしても、例えば日本の曲が海外のチャート上位にのるとか、世代を超えた大ヒットが出るとか、ここ10年くらいはなかったような気がする。逆に誰でも気軽に曲を作り、CDをつくりライブができるいい時代だ。アマチュアとプロの境はわかりにくくなり、鑑賞する時代から、参加する時代になったのかもしれない。残念なのは、ここ数年、魅力的なヒット曲が出なくなったことだ。今の状況ならGS時代のほうが、メロディ自体は良かったように思う。

作詞家の阿久 悠氏が亡くなった。彼が関わったレコード売り上げ枚数は6000万枚以上だという。日本人の半分以上が聴いたことになる。彼自身はカラオケもやらないし鼻歌さえ口づさむこともなかったと言う。言わば確信犯的ヒット曲製造作詞家だったといえる。よってジャンルは関係なく、演歌からPOPS,ROCKまで何でもありだ。プロ中のプロと言える。自分のレコード棚の中にも何枚もあるに違いない。70年代にアメリカで活動してたブラウンライスというマイナーな日本のPOPバンドがいて、どういう経緯かポールマッカートニーの書き下ろしでアメリカデビューを図るという。そのシングル盤を購入した時、日本語歌詞が阿久 悠だったことを思い出した。

誰もが唄を作る時代に、ほんとの意味での歌詞やメロディの素晴らしさを体感させてくる職業作家の作品が恋しいこの頃だ。

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