最近感じる事~

2013年2月16日 趣味
この頃は部屋に閉じこもって音楽を聴くのが最上の楽しみ。
それで昔からいろいろ聞いてきて、その頃その頃で聴く音楽も
違ってきてるわけだが、まあ昔好きだったものが嫌いになる事はなく
歳を重ねる毎に深い聞き方ができるようになり、そのジャンルも広く
なってきてるようだ。

さてそれで最近は室内楽がお気に入り。
好きな作曲家はあまり広がらないが、クラシックは同じ作家が膨大な曲
を書いてるので、例えばモーツアルトの全作品の5分の1くらいは触れる事
ができたかな~ってな具合で、一生聞いても聞きつくせないが、浅く広くは
一番つまらない聞き方じゃないかと思う。数ではなくどれくらい深みにはまって
聞いたか~が大事じゃないか~と思うようになった。

オーディオ的に言えば室内楽は例えば、単版の響き、フルオケはラミネートとか
~変な例えだが、
トリオとかカルテットとかだいたい一種類一つの楽器で、その分ピュアな響きに
感じる。オケはヴァイオリンだけで~群になってるわけで、全体では同じ各楽器が
数本から数十本同時に奏でられる。
そこでは微妙なコーラス効果やその他いろんな変調もおこってそして聞き手との
距離感は空気感として伝えられる。要するにマスで聞く楽器群なのだ。
室内楽は各楽器は一つづつ。だから楽器そのものの音色がピュアで変調なしに
伝えられる。そしてピュアな複数の種類の楽器でひとつの音楽を奏でていく。
音量的な迫力はないが、音色そのものは美しい。

また変な例えだが、有名なモーツアルトのクラリネット協奏曲とクラリネット5重奏曲はどちらもよく似た曲調だ。特に2楽章は雰囲気がうり二つ。しかしこの二つは距離感が大部違う。後者は目の前でやさしく包むように、手を伸ばせば肌で触れられるような生々しさと、やさしさ~前者は自分の遠い昔を思い出すような、乾いた悲しみとか、懐かしさ、ある種自分がそこにいない、さめた客観性を帯びてるように感じてしまう。これは勿論オーディオ的な具体的な距離感も影響してるんだろうが、楽器構成も影響してるのだろう。

バッハやモーツアルトの作品には基本的に同じ曲を違う楽器に編曲して違う作品番号がついているものが多くあるし、演奏家において違う楽器で演奏してるものもある。そういうものはある時、自分の中で埋もれていた曲が、ぱっと目を覚ましたように生き生きと感じられ、改めてオリジナルを聞くということも度々ある。
そういう体験は本当に楽しいものだ。
いつも仕事仲間の地味い~なオバはんが、ある時超トレンディなお洒落してきて、思わず見とれてしまうような感覚???とか~ちと違うかな?

クラシックといえば誰しも派手なフルオケのマッシブな響きを堪能することから
入ることが多いかもしれないし、自分もその口だったが
やはり飽きるということもあるのだろう。(べつに嫌いになるわけではない)
まあそんなこんなで、オーディオを通してでも各楽器のピュアな響きを楽しみ
ながら初めて出会う旋律に身を任せる事は、こんな至福の時はないんじゃないか
なと感じる今日この頃である。

最後に一言追加~クラシックといえば何でホルストの惑星の木星だけがあんなに
カバーされるのかな?猫も杓子も~~二番煎じどころか~いまや十番煎じくらいか
もういい加減にしていただきたい!選曲の妙というか、センスが疑われますよ。
金儲けだけの音楽はつまらないです!

コメント