昨夜TVでなつかしいフォーククルセダーズの曲を加藤和彦とアルフィーの坂崎がデュエットしていた。新生フォークルだそうだ。名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」や「イムジン川」などのなつかしい曲の他に、新曲も披露した。加藤和彦といえば昔は作曲家、ロックミュージシャンの他に、音楽畑のタレントといっていいのだろうか?ただのミュージシャンに留まらない生き方の独自性やセンスの良さが感じられ、とにかくかっこいい!ミュージシャンだった。もう60歳を過ぎたのだろうか。今見てもいい歳のとりかたをしてるなあと感じる。ロックミュージシャンにありがちな汗臭さやへんなこだわりがなく、感性のおもむくままに、曲をつくり気の向くままに音楽、生活を楽しんでる様子が実にうらやましい。というか世界が違う人という感じ。そういえば昔「マイコンビニエンス」とか言ってロールスロイスでセブンイレブンに乗り付けおにぎりを買うコマーシャルがあった。サディスティックミカバンドで華々しく英国デビューしたころは、ロックミュージシャンとしてのイメージが強いが、かれの作風は軽くセンスのいいポップスで、歌謡曲的な部分もあり万人に受け入れやすい。アイディアも豊富で、まあそれはフォークル、デビュー当時の「帰ってきたヨッパライ」を聞けばただものではないことがわかる。60年代後半にあんなアイディアを出せるんだから。もっとも本場英国ではBEATLESがサージェントペパーズを出しているのだから日本の音楽の立ち後れの中ということにはなる。フォークルといえばもうひとり「はしだのりひこ」がいた。彼は生きているのだろうか?検索してみると昨年コンサートをやってるようだ。日本フォークソングの名曲「風」の作者だ。「人は誰もただひとり〜」のあの「風」だ。彼はフォークルにはあまり関わってなかったらしい。この頃はたしか後期GSの時代だったと思う。しかしグループサウンズといっても歌謡界の作曲家と作詞家によって作られた曲を歌っていただけのバンドが多数だった。日本の音楽が殻を破るのは70年代に入って自作自演歌手が台頭してきたところからだろう。それはフォークソングというカテゴリーからだったような気がする。ボブディランの影響を受けたミュージシャンが出てくるころになる。話はそれたが、加藤和彦の経歴は長い!日本の音楽が歌謡界の作家から自立するころからだから。彼がここまで第一線で活躍してきたのもすべてその特異の才能とキャラクターによるものだろう
ここ数年、昔手に入れたCDのリマスター盤が出てるので何枚か購入して聞き比べたことがある。ポールマッカートニーのBand On The Runは70年代の録音だが、90年代にリマスターされて再発された。音は劇的に変っている。中低域の厚みがまして解像度が増してボーカルがウオームにクローズアップされていた。最新録音とほぼ変らない出来栄えに驚いた。豪華なBOXもので発売された。2000年に入って購入したのは1982年ころ出た大瀧映一のロングバケーションこちらも名盤だ。80年代に出たものはサウンド全体を聞かせるようなバランスだったが新しいのはボーカルにスポットが当たったようなAORと言った感じの音だった。いずれも確かに音は良くなっている。歪み感が少なくなり、ボーカルに血が通うようになりリスナーとヴォーカルの位置が近くなったような雰囲気は共通するものがある。しかしその後この2枚はあまりかけることはなく、オリジナル盤を続けて聞くことが多い。それは懐かしさや個人的な思い入れなのかもしれない。しかし何かしっくりこないことも確かなのだ。レコード音楽は記録の意味もある。昔のぼけた写真もいまのデジタル技術でクリアーな写真に生まれ変わるかもしれない。しかしそこに意図的なものが感じられてしまう。時代を超えて復元される事はすばらしいことだ。しかしオリジナルと雰囲気が違った場合人々は戸惑う事になる。上記の2枚は印象があまりに変りすぎていた。もっともオリジナルな音はその時のMIXROOMのSPから出た音を聞いてた人しか知らないわけだから、自分たちリスナーがオリジナルと認知するのは最初に購入したCDやLPの音しかないわけだ。また、たくさん出回っている事を考えるとスタジオの音より出回ってるCDの方をオリジナルと考えるのは自然な事のような気がする。

趣味趣味MUSIC

2006年2月9日 音楽
いろんな人がいろんな形で音楽と関わっている。人それぞれ楽しめばいいと思う。でも力を入れすぎちゃって、悩みを抱え込むなんてこともあるようだ。プロを目指してる人に多いのかも知れない。でもそれで楽しめなくなったら気の毒なことだ。プロなんて宝くじに当たるか当たらないかくらいに気楽に考えればいいのにと思うのだが。楽しみといえば、1.聞くこと、2.演奏すること、3作品を作る事に大きくわけられるように思う。1の場合が一番多く、まずプロを目指すことはない。スタジオに出入りする人たちは2.3が多いようだ。2はコピーバンド、3はオリジナル志向ということになる。2で目指すのはスタジオミュージシャンかライブのサポートあたりか。3は作曲家、アレンジャー、プロデューサー、2と3が合体したものも多いはずだ。その他、ボーカリストを目指してる人も多い。でもプロを目指す事と純粋に音楽を楽しむことは根本的に違うような気がする。やはり食えなければ(売れなければ)プロでは長くは続かない。そこには音楽以外の要素がかなりの割合を占めてる様だ。音楽家といってもいろいろあるけど、当初なりたいと思った方向と全く違う分野で何とか食べてる人も大勢いる。そうなると職業として音楽の看板は必要なのか?疑問になる。別に他の仕事で稼いで、好きな音楽を趣味として、できるならライフワークとしてやっていけばいいのではないか。別にプロを目指して努力することを否定するわけではないけれど。どうも日本人って太く短くを美徳とする傾向があるような気がする。でも本音じゃないだろう。そう言った多くのスポーツ選手が結構全盛期を過ぎてもやってるのを見かける。歳をとると考え方もかわるんだろう。太く短くよりは細く長くの方が、より本質に接近するようなきがするんだけど。継続は力なり、そこにはプロとかアマとかは関係ないように思う。

最近の録音事情

2006年2月2日 音楽
いろいろなライブ音源を聞いてみると最近はスタジオ録音と聞き間違うようないい音のライブ音源が結構ある。少なくとも70〜80年代あたりのアマチュアのライブ音源はボーカルがバックに埋もれていたり音域のバランスが極端に悪かったりと、聞けたものじゃないものが多かった。これはPAオペレータの技術の進歩が大きいのではないだろうか。それには機材の進歩やライブの状況を客観的に把握できるモニター環境の整備なんかも寄与してるはずだ。さらにその源にはミキシング周りのデジタル化が大きく貢献しているはずだ。こういう状況になるとこれからは、ミュージシャンの力量がさらに明白になってくる。ただ、照明等でショーアップされたステージはそれはそれでいいのだが、音楽のみを静かにじっくりと聞かせるLIVEステージがもっとあるといいと思うのだが。その一方、レコーディングに目を移してみると昔と今と、それ程の進歩は感じられない。安くできるようになったことと、音圧が上がった事くらいしか実感できない。70年代の日本のアーティストの音源を聞いても今のものとそん色ないものが多い。かえって奥行き感や楽器個々の存在感は昔のものの方が良かったものすらあるように思う。ただアマチュアの自主制作CDなんかは凄く良い音で録られてるようだ。結果、プロアマこれからどんどん音質差がなくなっていくのだろう。勿論これはデジタル化の恩恵そのものだ。音質だけで言えば、アマチュアの個人制作CDがヒットチャートにのってもおかしくない時代がきたようだ。
1972 Alone Againの想い出
ギルバートオサリバンの大ヒット曲アローンアゲインを初めて聞いたのは教室で昼休みの時間。放送部かなんかあって、お昼の放送でヒット曲を流してた中の一曲。聞いて暫く耳から離れなかった。背筋がぞくぞくって感じですね。懐かしいのに新鮮な響き。スタンダードになり得る曲だと思った。72年頃だったと思う。その後アルバムを買った。BACK TO FRONT。セカンドアルバムだ。国内版はこの中に入っていたがオリジナル版では替わりにクレアが入っている。オリジナル版はその後CDで購入した。ずっとアナログで聞いていたにも関わらずCDの方がずっとスムーズな印象だった。日本でヒット曲をアルバムに差し替えていれたのはセールスを狙ったものだ。これが通るんだから日本は優秀なマーケットだったのであろう。Alone Againはアルバム未収録の曲だ。2ndアルバムは1stほどの個性はないが、非常に良くできた軽妙なPOPアルバムに仕上がっている。クレアもAlone Againに勝るとも劣らない出来だ。これに1stからのナッシングライムドが私のBEST3になる。アルバムではこの2nd BACK TO FRONTが一番好きだ。明るくイギリスのごくありふれた家庭の風景が見え隠れする平和な感じがいい。もっとも彼はアイルランド出身だが。声もポールマッカートニーをもっとはりをもたせたようなよく抜ける声で曲とマッチしてる。この後多くのアルバムを出していて現在も現役だが、この頃が最高と私は思う。
年末にNHKで小田和正のライブをやっていた。ボーカリストとしてのシンプルなライブだった。オフコース時代の曲、サウンド志向からは想像できない唄を聞かせるもの。観客はほとんどが年配の女性で、涙を浮かべてる人も結構いた。切ない曲が多いのでそれは納得だ。多分オフコース時代からのファンで青春のひと時をオフコースと共に過ごした人たちなのだろう。70年代初期からだと30年以上が経過していることになる。これだけ長い時間ミュージックシーンの第一線で活躍しているのは凄いことだと思う。なぜこれだけ息の長い活躍ができるのだろうか?最近の若手で2030年代に活躍しているのは誰だろう?しかしそれ以上に価値があるのは彼らが日本の音楽のレベルを上げたことだろう。先駆者といってもいいかもしれない。70年代以前とそれ以降では日本のPOPMUSICが大きく変った。その境目に出てきた人たちだから。第一人者といえばユーミンかもしれない。荒井ユミの出現で日本の音楽シーンは大きく変った。世間ではニューミュージックという言葉で自ら作り唄うアーティストを歓迎しその後に多くのアーティスト達が生まれていった。その時代を変えた人たちが今も現役でがんばっていることは、大きな意味があると思う。唱歌や演歌以外で歌い継がれていく曲が誕生するということは日本の音楽シーンにとっては幸せなこと。しかしいずれ彼らもいなくなるだろう。彼らに続く時代を変える作品を残せるアーティストはいつ出てくるのだろうか?
24,25日のどちらかはスタジオは物凄く暇だ。クリスマスだからみんなで騒ぐか、カップルで静かに過ごすかあるいは一人で寂しくすごすか、なのだろう。一応スタジオでは当日はクリスマスソングもかける。ワムのラストクリスマスや達郎のクリスマスイブも好きだが、かけるのはいつも決まっている。フィルスペクターのクリスマスアルバムとビーチボーイズのクリスマスアルバムのカップリングCD.そんなの売ってるわけもないが、アナログから自分で一枚のCDにしたものである。いろんなミュージシャンがそれぞれクリスマスアルバムを出している。しかし自分にとってはスペクターのものを越えるものはない。第2位がビーチボーイズだ。この2枚があれば一生クリスマスは困らない。溌剌とした女性VOのスペクターサウンドに対してしっとりとした男性VOのビーチボーイズは相性もいい。いずれも1960年代初期の録音だが音は悪くない。前者はクリスマスのスタンダードナンバー後者はスタンダードナンバーとブライアンのオリジナルが混ざっている。スペクターのものは彼のウオールオブサウンドの金字塔といっていいものだ。というよりPOPMUSICの金字塔といっていいだろう。ビーチボーイズは初期のものだがそれだけシンプルで親しみやすい。60年代の初期といえばアメリカの一番幸せな時代だったのだろうか?その後ベトナム戦争の影が音楽にも影響を与えることになる。軍事先進国アメリカなんかよりはこの時代の豊かで平和なアメリカがイメージとしては好きだ。まあ現実逃避かも知れないが音楽の世界ではそれでいいと思う。
車で移動中は昔のカセットをかけている。飽きるまで同じものを聞いてる。面倒だと2ヶ月くらい変えない場合も多い。久しぶりに新しいカセットに変えた。箱に無造作に入れたものの中からクジを引くみたいに取り出してスロットに入れる。カセットは好きな曲のオムニバスが多いのでどれでも問題ない。暫くしてナイチンゲールの翼がかかった。エバリーBrは60年代に大ヒットしたアメリカの兄弟ディオ。それが不遇の70年代を過ぎて80年代に蘇る大ヒットをとばした。実にはつらつとしたPOPSONGで気持ちが前向きになるような歌とサウンド。ポールマッカートニーが彼らに贈った曲だ。BEATLESのデビュー当時は4エバリーと呼ばれ4人のエバリブラザースと呼ばれた。それは張りがあってよく抜ける声でハモるエバリブラザースに例えられたという。兄弟で声質が似てるため独特の心地よい響きが感じられる。昔、浜田省吾が好きだった。デビューから2枚目あたりまでかな。彼の高い声はフィルエバリーに似てると思った。一時期ギター2本でおそらく彼らを意識したであろうライブ活動をやっていた時期があった。現在日本でも男性二人のPOPディオがいくつかある。彼らを聞いても何故かエバリBrを思い出してしまう。そういえばFMラジオの企画で昔、山下達郎と大瀧映一でエバリーの曲をスタジオライブという形でやっていたことがあったっけ。同じような事をイギリスではニックローとデイブエドモンズもやっていた。こちらの方がかっこよかったけどね。そんなわけで木枯らし吹くこの季節、懐かしいエバリーのレコードでも聞いてみようか。
USPOPの傑作!ERIC CARMEN  1st (1975)
ERIC CARMENはラズベリーズの中心人物で作詞作曲、ボーカル、ギター、ピアノを担当。小さい頃から正式に音楽教育をうけピアノ、ヴァイオリンを習得、思春期以降エルビスやビートルズの音楽に衝撃を受けギターに持ち替え幾つかのバンドを組む。70年代に入りラズベリーズのGo all the wayが全米BEST5に入りメジャーで成功を勝ち取る。74年までラズベリーズで活躍。解散後75年ソロアルバム発表となる。歌唱力がいまいちのジミーウエッブとは違いボーカル、ソングライティング、アレンジ、演奏全て一流のアーティストだ。因みに男性ヴォーカル部門でグラミーを獲得したこともある。Go all the wayはビートルズとビーチボーイズとWHOを足したような曲調でボーカルスタイルはエルビス。複雑な一曲の中においしい要素が沢山含まれているよく出来たPOPSONGだった。ラズベリーズは彼の作品力が全てで、演奏や録音も荒く骨太でPOPな面はあったが、一線級のBANDとは言えなかった。彼が本来の才能を発揮したのはソロになってからであろう。満を持して発売されたこのアルバムは全ての曲がアメリカンポップスのスタンダードになり得る魅力をもっていた。ラズベリーズ時代とは比べようもないくらいの格調高さと品格を放っている。但し個人的には次のセカンドアルバムが彼の最高傑作だと思っているが、一般的と考えればこちらが彼の音楽の頂点と考えていいだろう。バリーマン、レイバー、ストラーのOn Broadwayのみカバーで全てオリジナル。有名なAll by Myselfはこのアルバムのみで7分15秒の完全版を聞ける。シングルVERは間奏が大幅にカットされている。この間奏はラフマニノフの2番ピアノコンチェルト風のオリジナルで当時話題になった。その前の曲Never Gonna Fall In Love Againは同じくラフマニノフの交響曲2番3楽章から巧にモチーフが引用されている。この曲に関してバカラックみたいに後世に残る作品を作りたいと考えているといったインタビュー記事を見たことがあった。こういった才能の持ち主が今は埋もれてしまっているのは大変寂しいことだが、それは彼自身ショービジネスの世界に疲れてしまったからなのかも知れない。いろんなミュージシャンが彼の曲をカバーすることによって昔のアルバムが再評価されるは救いである。
ジミーウエッブは正確にはシンガー&ソングライターだ。自らのアルバムも結構出てるしそれらが90年代以降に再評価されているという。私も何枚か持ってるし、気に入ってるものもある。しかし商業的にはほとんど売れずシンガーの部分は寂しい評価になっている。なんと言っても歌がうまくないのが原因だろう。しかし味わい深いものがあるのは確かだ。彼の場合天才作曲家といわれる場合もあるがそれは違うかな?と思う。何故なら彼の作る曲は歌詞と一体となってある情景を感じさせるものだから。彼自身も歌詞の重要性を指摘している。やはりソングライターと言うべきだろう。バカラックより一世代若く67年に弱冠21歳でフィフスディメンションに書いたUPUP&WAYでグラミーを独占する快挙。ビートルズのHeyJudeより先にマッカーサーパークで7分21秒のシングルを製作し全米2位に。恋はフェニックスで2年連続グラミーを受賞と華々しいデビューをかざっている。その後ブロードウェイミュージカルの制作、映画音楽、有名歌手の作家プロデューサーとして活躍。以上CDを買えばついてくる解説書にはだいたい同じような事が書いてある。まさにボーカル以外では万能選手だったわけだ。しかし一般聴衆には彼の知名度はバカラックに比べイマイチぱっとしない。バカラックだって歌は歌っていない。では何故、華々しいデビューのわりにその後ぱっとしなかったのだろうか。いい作品も書いてるのに。彼は悲観論者で彼の私小説的な歌詞がアメリカ人に受けなかったとか。美しいが暗めのサウンドがそれに輪をかけたのかもしれない。あるいはアメリカの影の部分を歌っているからかもしれない。誰も悲しいことは思い出したくないだろう。ただ彼の場合歌手やミュージシャンからは絶大なる人気で、正当に評価されているようだ。ジミーウエッブを全く知らない人は一度グレンキャンベルの歌った恋はフェニックスを歌詞を見ながら聞いてみると良いかもしれない。映画のような情景が浮かび上がってくるだろう。
上質の甘さSleeping gypsy by Michael Franks 1977
甘いものは好きだ。映画も音楽もアイスもケーキも。でもあるラインをこえると下品で気持ち悪いだけのものになってしまう。そのあるラインは人によって異なるが、自分の場合は許容範囲は広めだと思う。リチャードクレイダーマンは聞けないがアンドレギャニオンならOK.スーパーのおいなりさんは甘すぎて嫌だが、家でつくるものならOK.アメリカ製のチョコはもたれるが国内産なら結構いける。マイケルフランクスのスリーピングジプシーは実に心地よく何回聞いても飽きない一生ものの輝きを放つ数少ない名盤だ。声を張り上げないあくまでジェントルなボーカル。スムーズなメロディライン。だが実はちゃんと唄える日本人は少ないであろうと思えるくらいのテンションの連続。洗練された都会的なアレンジ。Produceはトミーリピューマ、アレンジャーがクラウスオーガーマンとくれば甘さと洗練度の頂点だろう。ブラジルに思いをはせたボサノバタッチの曲が続くがアントニオカルロスジョビンに捧げたアントニオの歌が有名だ。昔日本のサーカスというボーカルグループがTVでこれを歌ったとき、歌い終わった後のインタビューで難しいと連発していた。他にジョアンドネイトに捧ぐという曲もある。他のアルバムではヴィバルディに捧げたヴィバルデイズソングという曲もあった。とにかく捧げることが尊敬の証といえるようなほんとに謙虚で優しい人柄なのだろう。ギターを弾きながら唄うシンガーソングライタータイプだがギター片手に気軽にこんな上質なメロディを生み出せたらなんて幸せだろうなと思う。松崎しげるとはレベルが違う。やはり流れてる血が違うせいだろう。
携帯型MDプレーヤーやiPODが普及してモバイル型の音楽鑑賞が主流になりつつある。音楽以外にもノートパソコンで映画やスポーツも見られるようになり家にいなくとも好きな時間に好きなことが出来るようになる。以前は映画館にいなくても自宅で映画がみられる時代になったと喜んでいたのに。そのうち人々は自宅や自室という限られた空間を持つ必要がなくなる時代が来るかもしれない。魚のように自由に海を泳ぎまわり、鳥のように何処へでも飛んでいける。素晴らしい時代。ただ変わら(れ)ない物もある。1日は24時間で、睡眠と食事が必要でそして何より人間には感情という厄介なものがある。もっともこれがなかったら人間ではなくなる。さて長い前置きは終わりにしてヘッドフォンやイヤフォンで音楽を聞くことは私の場合ほとんどない。環境的なこともあるが空気を伝わった音を聞きたいから。イヤフォンで聞いてる人たちからみればLIVEがそれに値するのかも知れない。頭内定位は録音現場の意図とは大きく外れる。もっとも時代が変わればそういう録音方式も出てくるかもしれないが。音楽を愛する人たちのほとんどは音質自体には無頓着だと思う。音のいいイヤフォンを探してる人はあまりいないだろう。本物の低音なんて要らないのかもしれない。音楽の本質は充分伝わるのだから問題ない。これは時代の流れでオーディオの衰退は必然なのかもしれない。ただ無くなることはないだろうし好きな人は昔の名機をメンテナンスしつつ楽しめば良いだろう。大量生産ではない、モノ作りの確かな時代の名機たちは録音現場の意図まで忠実に再現してくれる。さらに製作者の音楽的センスが再生装置に充分に反映されているから、血が通った暖かい世界が再現される。やはり自分の部屋は必要かもしれない。
うちのスタジオでレコーディングするということは、あまりお金はかけたくないがそこそこの音で録りたいということなのだろう。7時間パックで2曲録るとするとMIXには2時間がいいところだろう。RECに時間が割かれるからだ。そうするとエフェクティブな処理は大抵はかけ録りにするほうが早い。勿論ギターなんかはギタリストが事前に音を作ってくるのだが、BASSやDRUMも録音する前の音作りが重要になってくる。BASSヘッド持ち込みなら納得のいくまで事前に音つくりが可能だろう。DRUMもチューニング済みのスネアやいつも使うシンバルがあればいい。こういった場合録音終了時には8割がた出来上がっている必要がある。あとは2時間で微調整と音圧を調整して完成。スタジオ側のオペレータがするのは出音に忠実に録音することだ。ロスを少なくSNを良く録れれば問題ない。スタジオに入る前に良い準備をするにはどうすればいいのだろう。お勧めは宅録とリハ(スタジオ)に時間をかけることだろう。レコーディング当日が本番という意識。宅録でアレンジのアイディアをじっくり試しリハで実践、練習その繰り返しが効果的だ。勿論録音当日スタジオに入る前には曲は完成されていなければならない。当たり前のことだがこれが出来てないBANDが意外とある。DRUMをとり終えた後に小節数が合わなくなってきたりする事があるのだ。いい作品と万全の準備がスタジオ録音をスムーズにし、納得のいくレコーディングを可能にする。
ELO の最高峰 OUT OF THE BLUE
B級BANDといえばELOを外せない。というより代表格といっていいだろう。その数あるアルバムの最高峰がOutOfTheBlue、1977年頃のアルバムだ。アナログ発売当時は2枚組だった。CDでは1枚モノで発売された。これは正解だ。サージェントペパーズ風のコンセプトアルバムになっているからだ。ジャケットは巨大な宇宙船のイラスト。ROCKアルバムと宇宙船は相性が良いのかBOSTON等、他のアーチストのものでも宇宙船をあしらったものが結構ある。このアルバム何が凄いかと言えば、その重厚長大さにある。MOOG,Odyssey,ARP2600〜等々数々のアナログシンセと本物のSTRINGS,VIOLIN、CELLO等、音の隙間が見当たらないほど重厚に音が重ねられそれに多重コーラス、正に現代のPOPオペラと言うべき様相。しかしスペクターサウンドのようにバックがエコーでぼけることもなく音的にも聞き心地のいいアルバムになっている。当時ミュンヘンサウンドっていうのも流行っていたが録音はミュンヘン。音楽的にはジェフリンのバックグラウンドが次々と出てくる。ディランに始まりレノンマッカートニー、バリーギブ、Bウイルソン〜ROCK、POPの巨匠たちの香りが随所に織り込まれて70年代POPMUSICの集大成を聞く感じだ。ただこの辺りの重厚長大さは(クラシックに始まる)白人音楽独特のもので単旋律民族の日本人には受け入れがたい所も事実としてあるだろう。今の世代はどうなんだろう。クリエーターよりエンターテーナーの時代だから難しいかも。ジェフリン(ELO)の最新アルバム(数年前のもの)を聞くと、渋く落ち着いたいぶし銀の世界がある。しかしあの頃の輝きや勢いは消えうせた。今の音楽界にこのようなモノ(傑作)が2度と出ることはないだろう。
最近TVでよく耳にするホンダ車のCM,MAGIC。最初はアレンジがかなり違うので気づかなかったが昔好きだったPILOTの大ヒット曲だ。他にジグソーや10ccや懐かしい曲がCMによみがえっている。おそらくCMのプロデューサーたちにとっても懐かしい曲だったのだろう。あれを使おうとか。若い人がこういう大昔のB級POPの音源を聞いているとは思えないからね。ところで大ヒットして時を越えて使われても、なぜB級と言われるのだろう。まあそれに対するA級POPということばは余り聞かないが。思うに親しみやすさはある意味格調の高さとは相反するものがあるからかもしれない。BEATLESは中期から後期にかけて驚異的な成長を遂げて特A級のBANDになったが初期はB級的要素が多い。このPILOTのプロデューサーはたしかアランパーソンだったはずだ。彼が録音、MIXしたピンクフロイドはB級とは言えない。単に商業的成功が呼び名の目安になっているのかも知れないが。そうなるとELOはどうだろう。音楽的にはBだが商業的にはAになるのかな。音楽的にBというのはレベルが下がるという意味ではない。キャラクターの問題だ。ところでこの曲MAGICはすばらしいメロディラインを持っている。昔FEN(在日米軍向けAM放送)を聞いていて当時のヒット曲のなかでこれがかかった時、凄い新鮮で光り輝いてた記憶がある。早速アルバムを買って聞くとポールマッカートニー風メロの親しみやすさとシンセのアレンジ等に新しさがあり斬新でPOPなすっきりしたセンスの良さにさすがアビーロードのスタジオミュージシャンだなって感心した。彼らはのちにAPP(アランパーソンズプロジェクト)を結成することになり商業的にも成功する。残念ながら作曲者デヴィッドペイトンの曲は影を潜めるが。PILOTのアルバム、Beatles(Paul)の好きな人は聞くべきかも知れない。

完全プロ志向

2005年9月20日 音楽
昔、古いサンレコを読み返してたら質問コーナーに「完全プロ志向という言葉を見かけますがその方たちは皆プロになっているのでしょうか」というのがありました。思わず笑ってしまいました。実に的を得たいい質問だと思います。しかも意外とこんな質問は思いつかないものです。しかも雑誌が割りとマニアックなサンレコだったのもいいです。ここで回答者がどんな回答をしたのかは憶えていません。ありきたりの答えだったのでしょう。さてバンドをやってる方や各音楽スクール等に通ってる方たちの中にはプロを目指してる人たちもいるのかもしれません。まあプロといってもピンキリだと思いますが。プロ志向の方はとりあえず技術的なものは自信があるしまわりも認めてるということだと思います。才能があって意欲があって情熱があるひとはその方向に進むべきかと思います。あとは実際自分の進むべきジャンルのプロの方にあって収入やライフスタイルをリサーチすることが重要でしょう。実際あえなくても周りのスタッフの方に話を聞くくらいはできるでしょう。ほんとはこれが一番大切なような気がします。その生活スタイル(どうしても犠牲になることがあります)が自分に合わないのでは、ただ苦しいだけですよね。かといって初めから自分のスタイルを押し通せるほど甘くはないはずです。好きなことを仕事にするのは必ずしも幸せに結びつくとは限りません。ホリエモンがいいことを言ってます。得意分野で稼いでその金で好きなことをやればいいって。得意分野とは好きな分野とは違います。他人に圧倒的に差をつけて金を稼げる分野ということでしょう。
ジグソーというバンド、ご存知だろうか。SKY HIGHという大ヒット曲があったから知ってる方もいるかもしれない。ジグソーといってものこぎりみたいなきりきりした金切り声をあげるバンドではなく実にマイルドで優しく、POPで切ない愛すべき音をもったバンドなんです。昔来日公演を見に行ったバンドでもあり、久しぶりに家のレコード棚からひっぱりだして聞いてみた。1974発売の2枚のアルバム。ジャケットの写真も素晴らしい。こういったB級POPバンドは時代と共に消えていく運命にあるのだろうが、そのせつないメロディセンスは音楽特にPOPMUSICの王道をいくものだ。コリンブランストーンを思わせるような声質がまたいい。SKY HIGHがHITしてジグソーイコールスカイハイのイメージになってしまいがちだがそれは勿体無い。かなりメロディセンスのいいソングライターチームでリスナーの心をつかむつぼを心得ている。アバとかビージーズとかと同等といっても差し支えない実力のあるバンドである。ドイツのBASFレーベルから出ているがイギリスのグループだ。BASFはカセットテープなんかを売っていたメーカーで面白いのはジグソーの音質がBASFの音になっている点である。かなりドンシャリで高域にスパイスが効いてる。ちょっと安っぽい音だがそういえば初期のカーペンターズもこんな音だった。アレンジもホーンセクションやギターの16BEATのカッティング等、メロディセンスに負けずいい味を出している。ほんとに時代に埋もれてしまうには惜しいバンドなのでBEST盤が出ているなら是非いまどきの人にも聞いてもらいたいB級POPの一押しです。
うだるような暑さのなかで冷たい水を飲んだり扇風機に当たったり、そんな単純に気持ちをリフレッシュさせてくれる音楽がある。例えば元気になりたい時はその手の音楽を聞けばよい。まあ前向きのPOPMUSICも良いかもしれないが、だいたいすぐ終わってしまうし充実感がない。しかも何回も聞くに堪えうる深みがない。そこで元気の出るクラシックがいい。今単純に第一選択肢はワーグナーかな。最強奏の部分で部屋を揺るがすような音で聞ければ最高だ。そこそこの音量でもオケがSPの奥に広がりホールの中にいるようで雰囲気はいい。ワーグナー、ブルックナー、マーラー(ついでにリヒャルトシュトラウスも)は音響派の代表であろう。オケも大規模だ。同じ大音量でもデジタルや電気楽器ではないからか、聞いていて気持ちがいい。うるさくないのである。ただマーラーはあまり好きではないしワーグナーも最近好むようになった。作風はかなり違うが響きは共通項も多い。音楽的にどうこう言えるほど見識はないので主題がどうのこうの再現部がどうの〜と分析したりはしない。ただ聞いて気持ちよければいいではないか、というレベルである。でも聞けば聞くほどよく出来ていると思う。スペクタクル音楽の最高峰でありモーツアルトなどの純音楽の味わい深さとは対極をなすのかも知れないがどちらも凄いと思う。これをPOPMUSICで再現しようとしたのがフィルスペクターサウンドだ。彼は毎夜、部屋を暗くして大音量でワーグナーをならしながら指揮棒をふっていたという逸話がある。ワーグナーは音楽のみならず楽劇という分野の創始者でパトロンにそれを再現する劇場を作らせたりかなりの数の愛人をつくったり、中身の濃い人生を送った尊敬すべき人間だったようだ。
先日、スタジオのボーカルマイクSM58の修理を頼んだ。グリルが交換できないほどきつく締められていたため、それを外す作業と、心無いお客さんに内部のスポンジを剥ぎ取られたもの、外せないグリルを無理やりちぎりとられたもの、合計4本である。グリルやスポンジをはずしたりすることでいい音になると思ってる勘違いボーカリストがいるのかもしれないが器物損壊でりっぱな犯罪である。試すなら自分のでやって欲しい。SM58はどこのスタジオにもある定番マイクで高価なものではないと思われるかも知れないが、大量生産によるコスト削減で実売1万円台を達成した名機である。5万円クラスのコンデンサーマイク等では到底太刀打ちできない音質を誇っている。音色の品格が他を圧倒する。ボーカルマイクとしてのバランスも申し分ない。ジャズ系の女性ボーカルから男性ボーカル全般まで守備範囲も広い。プロのレコーディングでも使われるが、柔らかさや細かい情報量が必要な女性ボーカル等ではコンデンサーマイクが使われることが多い。しかし58がそれらに使えないわけではない。コンデンサーマイク=高級でいい音という迷信が若い宅録派に浸透してるのもあるかもしれない。皮肉にも自宅録音では圧倒的に58が有利になる。まわりの騒音を拾いにくいからだ。ボーカルの音像をきりっとたてて、まわりから浮きだたせるような音が割りと簡単に出来てしまう。ところでグリル内のスポンジをとるとどうなるか?中低域がかなり減り音は細く貧弱になる。これを歯切れがよいとして使うのなら安いカラオケ用のマイクを使ったほうが良い。名機はへたにいじるものではないのである。
最近よく聞くアルバム
大瀧詠一はその後のロングヴァケーション(1982)よりハッピーエンドに近い。1971録音、当時日本の一番新しい音(音楽)と評判だった。今きくとウルフルズみたいな曲もあり親しみやすく、音質も良い。(8)ブライアンウイルソンは3枚、88年(9)95(5)2004年各発売(6)。多重コーラスが美しく宅録の延長のような究極のPOPアルバム。95年のものはリメイクBESTでBEACHBOYS時代からの美しい曲が並ぶ。アンマレー(2)はジャズのスタンダードナンバーのPOPS的なカバーで音質がよく親しみやすい。ブラジルものはヴィラロボス(4)サラボーン(1)チャリーバード(3)時代は違うが、どれも根底に共通するものが感じられ興味深い。それに叙情的なロシア民謡集(7)等。注)左上から1〜3、中段4〜6、下段7〜9

1 2 3 4 5