暇にまかせてそこらへんにあった未開封のCDを気が向くままに聞いてみた。買ったはいいが聞く暇がなく眠っていたアルバムだ。

まずはロジャーニコルス&A Circle Of Friendsの95年に発売された「Be Jentle With My Heart」。ロジャーニコルスと言えば70年代にカーペンターズの「愛のプレリュート」゛とか「雨の日と月曜日」とか、ポールウイリアムスと組んで名曲の数々を作曲した名作曲家だ。自身も67年のアルバム「ロジャーニコルス&A Circle Of Friends」の超名盤によって音楽クリエ-ターや熱心な音楽ファンには有名だ。28年ぶりのこのアルバムは話題にはなったが、いまいち評判が良くなかった。

早速聞いてみよう。まず音が悪いのは、短期間で作られたことを感じさせる。日本人とアメリカ人の違いというか、金は適当にかけて(売れ線のVOを使って)大雑把につくられた印象がある。全体にリバーブが多くかかっていて厚化粧なんだが、解像度はまるでない。昔の有名な作品も多くリメイクされていてそれなりの歌手が唄っているが、やはりカレンの深みのある歌唱に慣れてる耳では安っぽく聞こえる。評判通りの駄作だった。才能も枯れ果てたというところか。同じ意味でポールウイリアムスがカムバック盤を出していたが、こちらはかなりの力作だったので余計に残念だ。

次にムーディブルースの「Keys Of The Kingdom」ムーディブルースは70年代に「サテンの夜」だったかな?あと忘れたが2枚くらいLPを持ってた気がする。自分のその頃と被るのだが、暗くて湿ったイメージでいつかここから抜け出したいが抜け出せない、それが自分の人生なんてイメージで聞いていた。

さてこの盤だが、歌い方が一部ジョンレノン風である。音的にも大部救われて、独特のほの暗さはあるが絶望的なものではない。発売されたのは91年、ジャステインヘイワードは健在で彼の曲がほとんどだ。あれから20年、ドラマティックな暗さはなくなり、その分独特の魅力も半減したようだ。Produce,MIX,Recordをトニービスコンティーがやってるせいか所々にBEATLESやジョージハリソンのサウンドが垣間見える。シンガーソングライター、ジャステインヘイワードのアルバムと考えても良いかもしれない。

次はジョーイモーランドのCD「ピルグリム」。92年のアルバム。ジョイモーランドといえば悲劇のバンド、BADFINGERの生き残りだ。サウンドはムーディブルース同様明るくない。BADFINGER時代はバラッドのピートハム、ロックンロールのジョイモーランドという印象だったが、バンドで見える個人の資質は当てにならないと思う。ピートとトムエバンスにかすんでしまっていたジョイの曲もなかなか良かったのだ。味のあるバラッドを書いている。音もなかなかボトムが太くて中高域のスパイスが心地よい。BADFINGERを髣髴とさせるのりの良い曲もいくつかある。トラベリングウイルベリーズっぽいPOPでキャッチーなNO4はシングルカットされたのだろうか?全体のサウンドはBADFINGERそのものと言ってよいのではないかな。もしこのアルバムにピートハムの曲が入ったらもろBADFINGERだろう。

次はアメリカの「ハットトリック」アメリカはアメリカ人3人のバンド名だ。「名前のない馬」の大ヒットで一躍有名になったアマチュアっぽい優しいサウンドをもったバンド。日本ではアメリカのオフコースと言われたこともあった。ヒット曲も多い。3人とも曲を書き、それぞれ異なる個性を持っていた。ハットトリックは72年の作品。大ヒットした後だけにコーラスでビーチボーイズのメンバーが参加している。そういえば話は反れるが日本ではピンクレディのアメリカ録音にA面国産、B面アメリカ産のアレンジがなされた「波乗りパイレーツ」という曲があった。B面ではビーチボーイズのコーラスが聴ける。アメリカのこのアルバム、1曲目のマスクラットラブが抜群の出来だ。オリジナルではなくカバーなのだが、アレンジのセンスがいい。

もう年が明けてしまう。最後にベートーベンの第9を聞かなくては。来年もいい年であればいいと思う。
最近の記事で興味深いのがあった。ベルギー産の物語、「フランダースの犬」が日本人に特に好まれる理由が推測されていたもの。

アメリカでは結末がハッピーエンドにリメークされているらしい。ヨーロッパでは悲しいエンディングが情けない話とされ人気がないという。何故、日本では受けるのか?ベルギー人の分析だ。

彼らの分析結果は実に鋭い。日本人特有の「滅びの美学」という結論だ。日本の歴史、過去から現在を振り返ってみるとなるほどズバリではないか。日本人特有のメンタリティなのだろう。

滅びるにはある所まで登りつめなければならない。そして落ちていく。家庭をかえりみず猛烈に働いて会社を大きくし経済を成長させ頂点でバブルを崩壊させる。

国民の生活をぎりぎりまで切り詰めた富国強兵で国家予算のほとんどを軍備に回し、勝てもしない中国、アメリカ相手に戦争を起こして国を崩壊させる。

現在もまた、巨大な軍事国家になりつつある成金中国に省エネ、新幹線、〜先端技術のノウハウを無償で提供し実質的に巨額な国税を中国の軍事費のために貢ぎ続けている。金がなくなると南京、靖国、慰安婦でたかられて、謝りまくる。中国の日本侵略はすでに奥深く進んでいるらしい。

NHKをはじめマスコミ各社は中国人の犯罪を最近伝えなくなった。反中共は日本でタブーになりつつある。中国は日本に原爆を落とさなくとも容易に侵略できると確信を得てることだろう。日本のマスコミ、政治家の中に売国奴が多数いることは、現在の状況を見てると容易にわかる。小沢、福田〜日本人の税金を土産に中国を訪問する。胡 錦濤 国家主席様との2ショットをマスコミが大々的にとり上げる。もし裏の裏があるとすると救われるかもしれないがこんな状況じゃほとんど期待できない。

東大出の超エリートがたくさんいる日本の官僚、政治家がそんな事(日本があぶない!)が理解できないはずがない。では何故、拉致、機密漏えい、東シナ海、竹島等の問題を解決できないのか?靖国で自重した後、南京、慰安婦でたたかれるのか、尖閣、竹島も実効支配されると既成事実になるらしい。彼らは日本の領土を提供しても自分達の明日が豊かになることだけを考え、やがて遠くない未来に日本が滅びることを想像しながら死んでいきたいのかもしれない。事なかれ主義、しかしそれは、到底美学なんかではない。
SACDを買ってその音場感の広さや生々しさにしたっているこの頃ですが、音源側の高性能化がもたらしたのか、研究が進んだのか本体以外の、オーディオファンが気軽にいじれる音質調整グッズも相変わらず多く、最近のものは良くも悪しくも効果が著しいように感じる。

振動対策系では前にも書いたがFOQのように切ったり貼ったり、スペーサーとしてはさんだり、いろいろな使い方ができて効果を調整できるのが便利。しかし劇薬だからいろんな音楽をかけて、時間をかけて調整しないとかえってバランスを崩すことになる。実際DAC内部のコンデンサーやOPアンプの上に適当に貼って聞いてみると、あまりにも効き過ぎて音がデッドになりすぎびっくりする。テフロンテープではそんなことがなかったが。テフロンテープはすでに漢方薬か?

SCD777のスタビライザーを他社メーカー製の高額(姿かたちからみたら)のものに変えた。MID LOWがへってLOWがさらに下に伸び、中高域の塊がなくなり高域がすっと伸びた。よりフラットになった感じ。クラシックのSACDではいい感じだが、温度感は低くすっきり繊細で音楽が迫ってこない。VOのレンジがややスポイルされ客観的な、のめりこめない音になった。やはり純正のほうがいい。

最近のものが凄いのはその変化の量だ。だから使いこなしにより強力なエフェクター並みの効果を発揮する。

MNNTはCDの静電気防止スプレー。アナログの時代からこの手のものはたくさんあって、CDになっても最近注目されてきている。じっさいアナログ用スプレーをCDにふりかけても、MNNTのような効果は出ない。内部の特殊液体の調合が効を奏してるのだろう。CDの嫌らしさがなくなり、よく言われる上質の(ハイファイ感を伴った)アナログの音になるように感じる。

健康増進グッズの中にもオーディオ用に効果のあるものがある。アルファジーニアス(魔法の)コンセントは電磁波をより人間に効果的なものに変換する効果があるらしい。実際、音質がどう変わるかとかはっきりしたことは言いにくいが、一旦つけると、はずした後は音楽がつまらなくなるということになる。自分的には音楽がSPから浮遊する感覚が好きだ。現在10個以上使ってる。

今一番気に入ってるのが、Bhadoという健康増進グッズ。鼻水が止まらなくなった時に、鼻をこれ2枚で挟み込むようにすると楽になる。寝る時も枕の下に入れる。免疫力がアップする効果があるらしい。プレート状のもので、コースターとして使えば飲み物がまろやかになる。このBhadoのオーディオへの効果も凄い。2枚のプレートを電源の近くに置くだけで、中低域が締まり力強くなる。マスタリングで同じ音源をBhadoを置く、置かないで録音してみると、明らかに違いが出る。電池もいらず使い方が簡単で、いろんな使い方ができるので一番のお気に入りだ。

SACDを買った

2007年12月14日 趣味
明日からグランプリファイナル、楽しみだあ。

さて、気まぐれからソフトが1枚もないのにSACDプレーヤーを衝動買いしてしまった。CDもかけられるから問題は少ないのだが、せっかくなのでSACDソフトもアマゾンで10枚ほど購入。しかし、どれも50年代後半から60年代前半の昔の録音。クラシックの名盤と言われてる物だ。1枚1500円前後で買えるので安い!しかも一度は聞いておきたい名盤ぞろいだ。ソニーもSACD第一号機が出た時、ソフトはロックの名盤の焼き直しが多かった。これにどんな意味があるの?
ずっと不思議に思ってたが、今回届いた復刻版を聞いて、なるほどこれは価値があると思った。音がCDとは一線を画す、音場の空気感、とにかく左右が広くそれに伴い奥行きがでるといった、空間の広さが際立つ。ソニー製で重さが25kgもある。正確にはソニーの2号機に当たるものだが、重さからくるのか、しっかりした低域をベースにしたピラミッドサウンドはCDの方だ。CDだけだと、今までのL-D1にインフラノイズのクロック補正したものの方が、耳当たりが良いし解像度も上かなと思う。でも迫力があり、電源ケーブルやスタビライザーを交換することで、良くなる可能性はある。

SACDの音が、昔の復刻版に合う理由は、名盤のマスターテープに近づくことができるという点だと思う。60年と言えば、50年前の音源だ。それがこれだけリアリティをもって再現されることに驚かされる。昔CDでの名盤復活でワルターやフルトベングラーのもので喜んでたのは25年前、月日の経つのは早い。

SACDが今後、CDの様に普及することは在り得ないが、かえって趣味の道具としてはその方がマニアックで面白い。私の購入したものはマルチch対応ではなく2chステレオのみ、CDの再生にも力をいれたソニー独自の光学固定式の2ピックアップモデル。実際、インフラノイズのクロック補正を試してみると、その音の分厚さはSACDの柔らかで生の雰囲気を漂わせるものとは別の魅力も感じるし以前のL-D1の甘酸っぱさとも違うリアリティを感じる。また、CD再生時に可変デジタルフィルターというマニアックな機能がついてるのも興味深い。
6時半から野球のアジア予選、7時からフィギアGPファイナルNHKと重なったが、野球の相手がフィリピンじゃ見ても仕方がないので、フィギアの方をじっくり見た。まさかのジャンプ連続転倒でGPファイナルへの道が閉ざされた。楽しみにしていたのに残念だ。

しかしあながち予想できなかったことでもない。安藤の場合、前にも書いたがいつも何かアクシデントがあるしアスリートとして精神的に安定していないようだ。

今回は直前練習でジャンプで転んでエッジで太ももを切ったし6分間練習で見てても、転ぶ場面が目立った。前日から4回転を何回も成功させるなど、絶好調を伝えられていたが、4回転が飛べるから3−3は簡単に飛べるというのは、素人考えらしい。ジャンプの時のエッジのインアウトの判定も厳しくなり、気を使ってたそうだが、できればそんな減点は気にせずに、今までの感覚ですべってたら?おそらく2位以内は確保できたであろう。

本人の演技後の談話がネットに掲載されていたが、自己分析が鋭く成されており、気持ちのコントロールが上手くできれば今後が楽しみ。

しかし失敗しまくりのサラマイヤー、コストナーの得点がなんであんなに高いのかとか?フィギアの得点システムは難解だ。

ということで全日本、世界選手権に期待してます。4回転が好調なら、女子世界初の4回転もイマなら狙うべきかもしれない。
今年は時差の関係からかライブ放送がないのが残念だ。ロシア大会を見る。結果がわかってるから、興奮度は少ない。

中野友加里とキムヨナがそれぞれ2位、1位となったのだが、トリプルアクセルを成功させ、ほぼノーミスですべった中野が20点差以上の差をつけられて2位。今年のキムヨナは手がつけられないほど調子がよさそう。

グランプリファイナルは順当にいけば、これに安藤が加わり6人中3人が日本人という快挙を達成することになる。しかし残念ながら、金メダル(メダルが出るのかな?)は難しい。キムヨナが1位、2位浅田、3位に安藤か中野というのが私的な予想。できれば外れてほしいが(1位浅田)それは無理だろう。

なぜなら浅田は2〜3年前(200点を連発した頃)の勢いが影を潜めてジャンプの調子が不安定だからだ。フリーでトリプルアクセルを完璧に決めればいい勝負になるだろうが、キムヨナの方が精神的に強そうだし、彼女は難度の高い演技をしなくても、普通にやって高い得点を得られる強みがある。ジャンプもスピードがあって切れが良く見ていて気持ちがいいし、ステップやスピンの完成度も高く、しなやかな体型も強力な武器になる。何といってもミスをしなくなったのが凄い。

浅田は体が大きくなってジャンプのミスが多くなったのかはわからないが、目指してる優雅さも発展途上に見える。逆に言えばキムヨナは完成度が凄く高く大きなミスさえしなければ、現在は誰も越えられないように思える。

NHK(日本)大会は生で見られる。安藤のダイナミックな演技に期待したい。
ギターと言ってもアコギなのだが、9月頃マーチンのOOO-16GTを中古購入してから、その音に物足りなさと同時にマーチンの魅惑的な音を感じて、本格的なマーチンのギターが欲しいと思ったのが事の始まり。

その時点ではアコギは2台だった。いろいろ中古市場を物色していくうちに、衝動買いでマーチンではなくYAMAKIのR1000というトップがスプルース、バックサイドがハカランダ単版というギターを入手。オークションで70年代初期のマーチンD-41(ジャーマンスプルース?)を続いて入手。30年使ったKyairiのDY28と合わせ4台になってしまった。その他に昔、知人から譲ってもらったハカランダのガットギターがある。5台のギターはやはりかさばる。近々整理したいと思うが、4台のアコギがそれぞれキャラが全く別物で迷うところだ。

一番値段の高いD-41を処分しようと考えていたが、最近ソロギターを練習していると、どうもその音色の魅力にとりつかれつつある。確かにDY28やR1000ほどの厚みのある低音は出ないし、音もやや軽めだが、中高域のシャラーンと鳴る抜けのよさ、やや柔らかめだがバランスのいい低域と、弾いていて幸せな気分にさせてくれる。ひとつの完結した世界を提示しているような完成度の高さが感じられてきた。変な例えだが、マイクで言えばノイマンのU87、オーディオで言えばカウンターポイントのSA5000のような自然な質感(空気感)が代えがたい。

一方YAMAKIのR1000はかなり傷みの激しいよく弾き込まれたギターで、この中では一番重い。ハカランダが効いているのかザックリした低域と切れの良い高域が気持ちよい。ストロークではD-41より迫力があり、録音した音を聞いてもバランス良く瑞々しく気持ちがよい。音量も一番ある。フィンガーでも切れと解像度がものをいう。ただし、重いのとやや弾きにくいのが難点。ならばマーチンのハカランダものはどうかというと、高級車が買える位の値段だから無理。

OOO-16GTも最初は処分するつもりでいたが、上の2台に比べ当然軽く、凄く弾きやすい。音もダキストの730の弦に変えたら、低域もバランス良く出るようになって、D-41にも通じる高域のマーチン独特の密度感みたいなものが、捨てがたい。

DY28は学生の頃から長年使ってきた思い出のギターだし、これで何曲も自作曲を作ったり、宅録でも使ったギターなので捨てられない。音は良く鳴るし低域も充分でるし高域はニュートラルでマーチンの独特な輝きはないが、造りの良さは上3つに勝るものがある。

と言うことで、しばらくはこの4台のギターと同居となるようだ。
フィギアスケートグランプリ、カナダ大会は浅田、中野、武田と3人も日本人が出場したが、ショートPRGではミスが多く、本命の浅田、中野が追う展開となってなかなか面白かった。

もともと日本選手以外に有力な選手がいなかったので、1,2位楽勝かと思ったが、ショートの番狂わせで緊張感を漂わせた展開。本番前の練習でも浅田、中野がめずらしくジャンプ失敗するなど今日も駄目かと思ったが、本番は違っていた。

中野友加里は表情に笑顔が少なく緊張感からか暗くナーバスな雰囲気がいつも漂っていて、どうも好きになれない。ジャンプも姿勢が前のめりになって、技を無表情にこなしているという感じで華やかさに欠ける。技術的に素晴らしいものがあるのに勿体無い。今日は3回転アクセルをどうにか決めて2位に入ったのは良かった。

浅田真央は天真爛漫な少女から今年は大人っぽくなった。衣装がグレーと白の上品でセンスの良いデザインで、大人っぽくなった彼女の演技にBESTマッチ。以前の200点とかの驚異的な点数は出なかったが、落ち着いたしなやかな演技は良かったと思う。

武田選手は大型の体型でエミリーヒューズ程ではないが、ふくよかな雰囲気で今後期待できるのではないだろうか。

ところでエミリーヒューズのハーバード大学入学って日本なら東大並みだから凄い!学業と両立したいとか、学業に専念したほうがいい気がするが。ちょっと太りすぎの感が。

エミリーヒューズもキミーマイズナーも日本選手ほどは練習しないらしい。あくまで楽しむということが、前提なのかもしれない。だとしたら、日本選手が少なくともアメリカ選手に勝つのは当然の成り行きか。
今年もフィギアスケート、グランプリシリーズが開幕した。数年前からいつも楽しませてもらっていたが、現在日本人二人がトップを争う展開になってるので、日本的に言えばある意味頂点かもしれない。

アメリカ開催をTVで見たが、LIVEでなかったのは残念。できるだけパソコンを見ないようにしてTVを見た。日米対抗の時の安藤は最悪だったが、さすがに本番では調子を合わせてきた。男子では高橋が優勝してるので、その勢いで優勝かと思ったが、ショートPRGでの転倒が響いて、マイズナーを逆転できなかったのは残念。

ハラハラ、ドキドキという点では安藤の演技はこれでもか!というくらい見るものを緊張させる。トリノのジャンプ転倒しまくり以来、昨年はすごく安定していたが試合中に肩を脱臼したり、とにかく何がおこるかスリリングである。今回も普通はありえないステップでの転倒があった。ジャンプの調子もいまいちで、まだまだこれからという感じ。ど派手な衣装は上品とは言えないが安っぽくなる寸前で踏みとどまるといったカラーで悪くなかった。やはり日本人にはブルー系が合うのではないか。

実力では優勝したマイズナーを大きく超えていると思うが、運が左右する部分も多いこういった種目では、点をとるためのしたたかな演技構成も重要になってくるのだろう。

もう4回転を飛ぶこともないと思うが、その分ステップとか細かい部分ではより完成度を高めたダイナミックな演技に期待したい。3日には浅田真央が出場するので、ますます目が離せない。
The Stokowski Soundを聞く。ストコフスキーと言えばクラシックの名指揮者、アレンジャーとして有名だが、高尚なクラシックファンには評価が今一なのは残念だ。このアルバムはストコフスキーの編曲したバッハ、ベートーベンを始めとするクラシックの名曲が9曲収められている。テラークレーベル86年の録音だ。
指揮はストコフスキーではなく、エリックカンゼル、シンシナティポップスオーケストラの演奏。

こんなふうに紹介されると、安物のイージーリスニングかと思われるが、決してそんなことはない。名曲、名演奏、名録音と3拍子揃った名盤だ。何といっても録音が凄い。

大編成のオケをたった3本のマイクで空気感を余すところなく拾い上げる。そのダイナミックレンジの広さは怖いくらい。日頃昨今のコンプ、リミッターかけまくりの圧縮音楽になれた耳には信じられない音だろう。弱音部にVOLを合わせて聞き入っていると、あっという間にクレッシェンドしていきSPが張り裂けんばかりに金管が炸裂するといった感じ。思わずVOLを下げてしまう。さらにマイクの本数が少ないため位相ずれがなく、左右奥行き高さの距離感が正確に出る。実際、10畳の部屋が目をつむればコンサートホールとなる。こういうバーチャルリアリティサウンドがハイファイオーディオの醍醐味と言えるのではないか。

80年代中期のテラークはいい録音が多い。今までのお気に入りはチャイコフスキー5番、プレヴィン指揮のものだ。これはやや音楽的な聞き易さが加味されるが、他のメジャー録音のCDに比べダントツに広い音場が感じられる。同じ頃のデンオンレーベルはM&Kマイク使った構成だが、柔らかくしなやかな美しい音でややデフォルメされてるかな?と思える。

しかしこのアルバムをちゃんと聞くには、専用のオーディオルームとリニアリティの優れたオーディオセットが必要かもしれない。
最近、新たにアコギを買って音色を楽しんでいたわけだが、自分の場合、だいたいが伴奏用のギターの域を脱してないわけで、ギター1本で楽しめる曲を何かマスターしたいなと思い始め、スタジオに前から置いてあった(知人の忘れ物)ソロギターのしらべという教則本を手にしてみた。幸いおまけのCDがついていて、筆者の演奏丸ごと収録されている。聞いてみたのだが、とてもギター1本の演奏とは思えないほどの感動もので、30曲全部聞いてみるのにあっという間だった。音もクリアーに録られていて十分楽しめるものに仕上がっている。ギターはマーチンD35,マイクがRODE NT1という私が大好きなマイクで録られている。

普通、曲が完成するには、数十TRの演奏や、緻密なアレンジ、膨大な音数が存在するわけで、それを6本の弦で表現するのは並大抵な事ではない。それを南澤大介氏は極限まで切り詰めて、初心者でも楽しめるソロギターの入門書となっている。その音の選び方が秀えつで洗練されているといえるだろう。

入門書とはいえ、この若くない頭では、1曲マスターするにはなかなか大変だ。CDを聞いていいなと思った曲にトライするのだが、技術的にハードルが高いのは避けた。大きな手を必要とするものもつらい。たとえば2フレットセーハして小指を5フレット付近で動かすとか、太目のネックだと自分では厳しい。結局イマジンとクローストウユーをやってみたいと思ったが、イマジンは難易度C、クロス〜は難易度Bで易しくはない。少しづつ楽しみながら1曲でもマスターできればいいかなと思う。
テルミンは「世界最古の電子楽器で、1920年にロシアの牧師テレミンによって発明された」とある。ビーチボーイズのグッドバイブレーションで私は始めてテルミンの音を聞いた。レッドツエッペリンとか多くのロックアーティストや国内のミュージシャンも使っているという。なんといっても音程が音階の制約なしにポルタメント的に変わっていくのが印象的。楽器に触らずに演奏するので、偶然性、偶発的な要素が多く、1曲ソロでやるのは、超絶テクニックを必要とするだろう。ロックやPOPソングに含まれるものは、部分的に用いられたものがほとんどだ。

クララロックモアのアルバムを聞いてみた。ピアノをバックにテルミンのソロ演奏が繰り広げられる。中域はボコーダーのよう低域はチェロ、高域はまるで女性のソプラノのようでもある。平均律とか12音階とかになれた耳には、その生々しく怪しげな質感は時に気持ち悪く、時に官能的だ。このアルバムでは有名曲を演奏してるので現代音楽にあるような難解さもない。退廃的な表情のジャケットもノスタルジーを誘う。1975年録音。表ジャケットはおそらく若き日のクララ。ブックレットには近年のクララが写っている。レコーディングにはロバートモーグ博士が関わっている。彼との2ショットの写真も含まれる。

テルミンは新品が、約5万円くらいで購入できるようだ。使いこなすのは至難の業だろうが、自作曲に色をつけるにはいいかもしれない。
懐かしい斉藤哲夫がTVに出てた。相変わらずアコースティック12弦を抱え、よく通る声で「吉祥寺」を歌ってた。この人、スタイルはフォークなんだけどアルバムを聞くとメロディアスでPOPで昔はアルバムをよく聞いてた。特にByeByeGoodbyeサラバイって曲と、Goodtime MusicがPOPで好きだった。

ルーツとしてはボブディランなんだけど、彼のメロディの持ち味はビートルズというなかなか味のあるシンガーソングライターだ。観客は年配のおじさんおばさん連中。若い人はあまりいないようだ。このようにして日本の音楽文化も進化して、各年代毎に心に残るヒーローがいて、忘れ去られることもなくライブをやって楽しませるいい時代と言える。

音楽と言えば歌謡曲かフォークしか思い浮かばなかった70sの日本と違って、今はいろんなジャンルにそれなりすたれないくらいのファンがいて、細く長く時代を作りつつある。こういうのを成熟というのだろうか。大ヒットが生まれない代わりに、そこには確実に自分にフィットした音楽にしたれる幸せがあるのかもしれない。
朝ついついMLB放送を見てしまうが、ペナントも終盤に近づいて大接戦で面白くなってきている。ボストンは現時点で1.5差までつめられて、今日はヤンキースは4−0でまけててレッドソックスが勝ってたので2.5差になるのかな?と思ってたら9回に同点に追いつくのだから凄い。勢いでは完全にヤンキースだ。いわゆる野手の間をしぶとく抜いていく、しぶ〜いヒットが続くのだから投手も堪らないだろう。レッドソックスは完璧を目指したガニエの補強が裏目に出て采配も冴えないし、松坂も今年は本領を発揮しないまま終りそうだ。

国内はといえば、戦力圧倒的だと思われていたソフトバンクが、故障者も出て松中も重度の不振が続き、今年も優勝は無理そうだ。王監督今年で辞めるのだろうか?それより古田はどこへいくのか?ストーブリーグの方が面白いかもしれない。小笠原の抜けた日ハムは2年連続ならほんとに凄いと思う。外国人監督が導入した徹底したデータ野球が今後主流になるのではないだろうか。優勝とプレーオフ制覇は別になる?何か良くわからない制度だが、昔のセパ優勝チームの日本シリーズが一番しっくりくる。

いずれにしても、今が一番おいしいところだろう。
ネット上で政治、外交等いろいろ諸問題を検索してみると、TV,新聞で伝えられている情報がいかに歪で、客観性に欠き、極端な方向に誘導されていることに気づかされる。日本のマスコミはいつからこんなに悪質で情けなくなってしまったのだろう。

ネット上の情報は左から右まで、玉石混合、しかし量が多く深いから、自分で少しづつでも意識を深めれば何が正しいかわかってくる。日本のTVニュースは仮病サボタージュの朝青龍が毎日毎日アップで流され松岡農相の自殺以向は、金と政治のスキャンダル攻めでこれでもかこれでもかと安部叩き。金のスキャンダルのない政治家がいったいどれくらいいるのか。政治家はそれより政治思想、政策が大事だろう。やめさせた後に来るものは大概質が落ちるものだ。農相も松岡が一番やり手だったのだろう。政治の本当のプロフェッショナルが精魂費やして仕事に没頭するのなら多少金に汚くとも私は許せる。そういえば小泉時代の南野法相は笑えたな。もっともブレーンがしっかりしていれば、看板はどうでもいいのかもしれないが。

安部さんの場合は本人はともかくブレーンに恵まれなかった。今後、親中派の福田、小沢ではどちらに転んでも日本の将来は危ない。麻生さんは今回もだめそうだし。

日本はすでに内部から中国(共産党)に支配されはじめているそうだが、今回のゴミマスコミの安部叩き、それを信じてしまう世論の愚かさと支持率低下、左翼議員の暗躍、等なるほどと思える。米民主党には中国系企業から多額の献金を受けてる議員が多いそうだが、金のためなら日本を売りとばしそうなアメリカ、考えてみると中川昭一がいうように近い将来には日本は中国の〜省になっているのかもしれない。

まあ、そんな予想はあたって欲しくはないが、米朝の接近が密かに噂される中朝戦争の前触れであるなら?そう願いたい。

「外交や憲法改正より生活だ」と世論は訴える。しかし生活は平和という前提の下に語られるべきだろう。平和な今が今後もずっと続くと考えるのは甘い。日本が侵略されるなんて有り得ないと、何故言えるのだろう。自衛隊だけで核も持たず丸腰の日本。高度な産業技術、特許、省エネ〜これらは中国ロシア等巨大な軍事国家にとっては格好の獲物に違いない。

テロ特措法は単なるガソリンスタンドではなく日本のシーレーン確保に重要な役目(情報収集)を果たしてるという。もしこれがなくなればアメリカ(日米安保)はメリットのない日本と決別し西太平洋はいずれ中国に支配されてしまう。そういえば最近、アメリカの司令官が中国を訪れたとき、太平洋をハワイあたりから東西に分けて米中で管理しようと提言されたそうだ。勿論その場で断ったそうだが、米本国ではそれに賛成する議員も結構いたそうだ。
ooo-16GTピックアップ付。オークションの衝動買いだ。ギターといえば、自分の場合全くコレクターではないし、それほどうまく弾けないし、まあ作曲とかの時に使うくらいで、長い間どちらかといえば打ち込み用のシンセとかに意識がいってた。アコギをかったのは学生時代K.yairiのDY-28を買って以来。それで十分満足してこれまで使ってきた。ただドレッドノートは大きいので、oooタイプが欲しかったのは事実。体にフィットするし弾きやすそうだし。DY-28はマーチンのDー28のコピーモデルで、どうせならマーチンがいいと思ってた。実際、届いてみると非常に綺麗で状態がいいし、マホガニーのほんわかしたやさしい音がしていた。ただ、DY-28に比べると、どうしても音量や低音の響きで負けるのは仕方ない。最初はそれで物足りなかったが、なかなか品のある音でそれなりに満足していた。

がしかし、近頃マーチンってこんなものじゃないだろうと思い、上のクラスのものが欲しくなってきた。そうなると高い買い物になるので、それなりの出費の覚悟がいる。それでここ2〜3日ショップのHPやネットの掲示板等でいろいろ調べている。実際に試し弾きするのが一番なのだが、都内まで出るのは億劫。しかし自分の目指す機種はネットでも十分絞られてきた。新品も中古も値段は変わらないというか、古くなるほど価格は高騰してくるが、一生ものはやはり中古狙いにならざるを得ない。新品を買って何十年とならさなければ音が熟成しないのでは仕方がない。

ネットで調べるうちに、最近は70Sフォークリバイバルの影響で、アコギブームであることがわかった。まあ静かなブームではあるが。カッティングしたときのグルービーな音やアルペジオのきらびやかな音など、魅力ある楽器であることは確かだ。ピアノと違って外へ持ち運べるし、アンプもいらない。自分的にはエレクトリックはほとんど弾かないが、アコギはへたながら、長い間弾いている。音の魅力もあるが、弾いた時に体に伝わる振動がとても好きだ。

ちなみに昔9万円で買ったDY-28は現在でも生産されていて18万円くらいの価格が付いている。今回は同じドレッドノートタイプをかうつもりで、昔ポールマッカートニーが使っていたD-18のGEタイプを第一候補で考えているが、Dー41が結構安くでてるので今回も衝動買いになるかも知れない。
BSでやっていたのでさわりだけみるつもりが、つい終わりまでみてしまった。インタビューに答える元夫人のプリシラ。エルビスが死んだのは70年代。このビデオは2005年制作で、プリシラはこの時、はたしていくつ?そう思わせるくらい若くて美しい。

「エルビスは軍隊で去勢されてしまった」たしかジョンレノンの言葉だったっけ。ビートルズのプートレッグを聞いてみるとジョンのエルビスへの傾倒ぶりがまともではない。なにしろポールと組んだのは「彼がエルビスに似ていたから」ということだ。初期のエルビスはそれだけ凄まじかったのだろう。スーパースターといえども人間だ。いつでも才能全開とはいかない。まっとうじゃない世界は精神を蝕み、そのたどる道は薬漬けから若くして急死というパターンが多い。70歳のマイケルジャクソンはどんな感じかな?スーパースターはファンの心に不変でいるべきだろう。

さて2年前だったか、小泉首相が最後のアメリカ訪問でエルビスの家を訪れたときの映像には笑えたが、あの時の女性二人はてっきりエルビスの娘だと思っていた。だがなんと元夫人のプリシラと娘のリサ・マリーだったらしい。もう60歳近いはずだが、どうなってるのだろう?アメリカの整形技術はすごい?いや本人の努力か?リサマリーはリサマリーで、本物はスエーデンにいるとか?さすがスーパースターの一家、ミステリアスな話である。

バッハの器楽曲

2007年8月26日
昔、音楽を聞き始めた頃からバッハは好きだった。学術的、音楽理論的、分析的にどうのこうのとか、そんなものは全く興味がなかったが、とにかくバッハの音楽がかかっていると気分的に落ち着くし癒される。自分のクラシックのレコードでは当然バッハのものが一番多く、次いでモーツアルト、チャイコフスキー、フォーレetc〜となる。

最近、グールドとリヒテルのCDを買った。グールドはパルティータとフランス組曲、リヒテルはプレリュードとフーガ、以上全曲集だ。だいたいが60年代から70年代の録音だが、もともとピアノソロなので、古い録音だが音は明確に聞こえる。ただし昨今のデジタル処理がしてあり、ノイズ低減がされている。残念なのはその処理のおかげで、耳に不快なノイズを生んでいることだ。もともとテープのヒスノイズならあっても構わない。少なくとも嫌らしい人工的なデジタル系のノイズよりよっぽどマシだ。曲中の演奏者のうなり声もかなり小さくなってるが、この処理のおかげで、付帯音が耳にさわる。もともとのヒスノイズや演奏者の発する声や椅子のきしむ音、鍵盤にさわるつめの音などは、低減させる必要のないものだ。技術者のセンスのなさが残念だ。

それはともかく、バッハのピアノ(チェンバロ)曲をかけると部屋の空気が一変する。目をつむるととても落ち着いた平和な気分にさせてくれる。モーツアルトの時代になると、ポリフォニックなものからひとつの明確なメロディを主体にアレンジされたホモフォニーの世界になり、より親しみやすい歌謡調になるが、聞いてるうちに曲(旋律)に支配されてしまいその時の気分で好き嫌いが限定されてしまうこととなる。バッハのようなポリフォニーの世界はそれがなく、いつでもBGMとしてさりげなく存在できるような気がする。かと言って安っぽいわけではない。追求していくと恐ろしく深遠な世界がひろがっているのだろう。しかしその世界に入らなくとも、心地よい安らぎにしたれる。音楽の中でも特別な存在なのだ。

筑波日記

2007年8月19日 音楽
終戦記念日や原爆投下の日をはさんで、戦時のドキュメンタリー番組が最近は多い。平和ボケした自分ら戦後生まれの人間が、なんの危機感も感じずに、その恩恵にも気づかず、ずっと何十年も生きてきたわけだが、せめてこの期間は、じっくりとこういう番組を見てみるのもいいだろう。と言っても、ほとんどは前に何回も見ていて再放送になるわけだが。そんな中で初めて見て新鮮だったのが、竹内浩三が戦時を生きた物語。

今現在の20代前半のそこらへんによくいるような軟弱な若者がもし、1940年代前半の日本にタイムスリップしたら?番組の前半はそんなことを思わせるおよそ軍人には向かない主人公の性格、戦争に行くのを恐れ、何より自由を愛し,繊細な感性をもった大学生。日々の暮らしは計画性もなくただ感性のおもむくまま、好き勝手に生きていた。しかしとうとう赤紙が来てしまい、徴兵されることとなる。

筑波日記は配属先の筑波山のグライダー部隊で、彼が秘密裏に書きとめた日記を母親に送ったものである。日記を書くことができた筑波時代は戦時中としては、穏やかな日々をおくることができたのだろう。しかし結局終戦の年に、フィリピンで戦死する。

この間の彼の心の葛藤は想像するだけで胸を打たれるが、逆に戦争の罪深さを認識させられる。戦地に行く朝、母親のせかす声にせめてこの曲を最後まで聞いてからと、チャイコフスキーの悲愴のレコードを聞いていた場面が印象深い。

この先、日本がずっと平和でいられるか、非常に怪しいものだ。上海万博後あたりに中国経済が破綻した時、日本は第3の核爆弾の被害にあうと予想する人もいる。中国やロシアの核ミサイルが常に日本に向けてあるのを、忘れてはいけないと思う。

筑波日記で検索すれば、実際の竹内の日記を読む事ができる。
GSの時代は長くは続かなかった。要するにブームで終わったわけだ。それは大衆の受けを狙った歌謡曲畑の職業作詞、作曲家の手によるものが多かったのが原因してるのかもしれない。そもそも彼らの作品は時代を超えて、長く聞かれる本質的に深い作品を前提に作られるわけではない。一発狙いといっていいのかも知れない。システム上多業種の多くの人間が関わっているので、2~3回売れなければ次はない、という使い捨ての感覚が支配してるのだろう。

GSの衰退とクロスするように登場したのがシンガー&ソングライターや、独自のサウンドを追及したロック、POPS系のバンドだ。彼らにはメディアの露出もTVの歌番組主体の歌謡曲畑の人たちとは一線を画した、LIVEを中心とした手作りのプロモーションが行われたように思われる。それらの手本となったものが、LOVE&ピースの時代にアメリカで行われた大規模な野外コンサートだったように思う。それらに触発されたとはいえ、その後の日本のPOP系音楽業界の形態を大きくかえたのは大きな功績と言えるだろう。そのエナジーの核となったのが、若くて優秀な才能の登場だ。

何かが始まるとき、変わる時というのは、優秀な人間が登場するのが常で、政界ではないけれど、そこそこの才能だと何も変わらない。現在は変わりにくい環境なのかも知れないが、新しい音楽家がいるにしても、その頃の人が健在であるにしても、例えば日本の曲が海外のチャート上位にのるとか、世代を超えた大ヒットが出るとか、ここ10年くらいはなかったような気がする。逆に誰でも気軽に曲を作り、CDをつくりライブができるいい時代だ。アマチュアとプロの境はわかりにくくなり、鑑賞する時代から、参加する時代になったのかもしれない。残念なのは、ここ数年、魅力的なヒット曲が出なくなったことだ。今の状況ならGS時代のほうが、メロディ自体は良かったように思う。

作詞家の阿久 悠氏が亡くなった。彼が関わったレコード売り上げ枚数は6000万枚以上だという。日本人の半分以上が聴いたことになる。彼自身はカラオケもやらないし鼻歌さえ口づさむこともなかったと言う。言わば確信犯的ヒット曲製造作詞家だったといえる。よってジャンルは関係なく、演歌からPOPS,ROCKまで何でもありだ。プロ中のプロと言える。自分のレコード棚の中にも何枚もあるに違いない。70年代にアメリカで活動してたブラウンライスというマイナーな日本のPOPバンドがいて、どういう経緯かポールマッカートニーの書き下ろしでアメリカデビューを図るという。そのシングル盤を購入した時、日本語歌詞が阿久 悠だったことを思い出した。

誰もが唄を作る時代に、ほんとの意味での歌詞やメロディの素晴らしさを体感させてくる職業作家の作品が恋しいこの頃だ。

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